ドラッカー研究会
7月22日(金)にポップタウン住道オペラパーク南館にて、大阪ブロック「ドラッカー 研究会」を開催。7月、8月の2回は趣向を変え、P・F・ドラッカーが名指しで賞賛した「澁澤榮一の生き方」を講義いただいた。
世界経済混迷を極め、本来の目的(幸福)と道具(お金)がともすれば逆転して捉えられている今、求められているのは、新たな経済秩序ではないだろうか。日本社会が目まぐるしく変化した明治維新から大正時代に澁澤榮一が打ち出した「論語と算盤は一致すべし」という思想こそ、いま真に求められている物なのかも知れない。『論語と算盤』を著し「道徳経済合一説」という理念を打ち出した澁澤榮一は身分こそ"農民"であったが、生家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営し米、麦、野菜の生産も手がける豪農で、名字帯刀を許された裕福な家柄であった。澁澤榮一は父からは当時世界でも最高水準にあった武士並みの教育を、母からは溢れんばかりの愛情を注がれて幼少期を過ごし、幼少期に受けたこれらの「教育」と「愛情」は彼の中で確固とした"判断基準(単なる損得ではない)"を形成。これが後に経済的な側面においての「道徳経済合一説」へと昇華したと考えられた。その生涯で500以上の企業や団体の起業に関わり"近代資本主義の父"と言われた人物であるが、同時に医療・福祉・慈善事業の為の600以上の団体にも関係しており、終始公共の福利(福祉)に尽力した。澁澤は、「私利を追わず公益を図る」との考えを、生涯に亘って貫き通し、「澁澤財閥」を作らなかった点にある。他の財閥当主が授かった爵位が"男爵"なのに対し、澁澤が"子爵"を授かったのは、彼の公共への奉仕が高く評価された証拠であると考えられる。